編集室より

クリスマスツリーというと何を思い浮かべられますか。絵本や映画の場面、あるいは実際にご覧になった思い出の光景でしょうか。

今頃の時期になると、アメリカでの事ですが、クリスマスツリー用に注文していたモミの木を学校の校庭や公園などに届けられた大きなコンテナまで取りに行き、なんとか車に押し込んで持ち帰ったことをその芳香とともに思い出します。

そういう木はクリスマス用に栽培されたものですが、そもそも昔は、モミの木を切り出すことからしたそうです。『みごとはなやかなあそび ーあそびの大星雲 3』(1992年農文協)(上の写真左側)には、易しくクリスマスツリーの由来が書かれています。右側は『こどものカレンダー12月のまき』(1975年偕成社)の前扉です。

日本の門松に根引きの松を飾るのに通じる思いがクリスマスツリーに込められいるのは人間の心理を考えると興味深いものです。



加古作品の中では、行事の本や季節の遊びとともに沢山のクリスマスツリーが描かれていて、上の写真は『こどもの行事 しぜと生活 12がつのまき 』(2012年小峰書店)の裏表紙(右)と本文でクリスマス・ツリーを紹介しているページです。

クリスマス・ツリーが主人公の絵本もあります。年少版こどものとも129号〈12〉として刊行された『きれいなかざり たのしいまつり』(1987年福音館書店) です。その折り込み付録には著者による「クリスマス・ツリーの絵本」と題する解説がありましたのでご紹介します。

クリスマス・ツリーの絵本

加古里子

(引用はじめ)
この絵本は12月にちなんでモミの木の飾りと、そのまわりでの集まりや遊びいわゆるクリスマス・ツリーを題材にしています。

気の早いところでは10月ごろから、こうした飾り付けが行われ、各地各所でさまざまな工夫や出来栄えが競われています。そのきれいできらやかな様子に、子供たちはわくわく心をはずませます。いわばすっかりこうして気運づくり、下地ができているのですから、こんな良い題材を用いないテはないでしょう。

ところが、これまでクリスマス・ツリーは、サンタの絵本の片隅の、背景の、小道具といった脇役でしかありませんでした。今回は主役の、主題にえがいたーーーというのがこの絵本で作者の私が意を注いだ第一の点です。

第二は、そうしたクリスマス・ツリーを描くために、縦長の画面、それぞれのページが縦につながって次々に展開する手法を用いたことです。いわゆる「右開き」「左開き」ではなく「縦めくり」の組み方と造本を編集部にお願いしました。絵の都合で縦にしたり横にかいたりではなく、読者の理解と興味をの持続連繋(れんけい)のため、一貫性のある冊子の展示を借用したのです。

第三の最も留意した事は、日本ではクリスマスが盛んであっても、読者が全員キリスト教徒やその家族ではないと言うことです。

さりとて、キリスト教をぬきにしたクリスマス・ツリーは形骸(けいがい)となってしまいます。そこでキリスト教の習慣や行事の言われを述べるのではなく、広い宗教性をこの絵本にもりこむように努めました。ダ・ヴィンチの模写を、しかも2枚ある「岩窟(がんくつ)のマドンナ」のうち、ロンドン美術館の方を選んだのも、こうした願いからです。作者はキリスト教はもちろん他のどんな宗教でも、真に誠実な方には常に尊敬を抱く者ですが、この絵本の願いが幼い読者の心に届くのを大きな喜びと思っています。

(引用おわり)
*ロンドン美術館とあるのはロンドン・ナショナルギャラリーを指しています。

『きれいなかざり たのしいまつり』の一場面。

冬になると編み物をしたりお子さんたちの間では、あやとりが流行ったりします。指についての絵本、『かこさとしからだの本6 てとてとゆびと』(1977年童心社)をご紹介します。

この本は、指の名前から始まり、指を使ってできる様々な動作、人間の進化と指の関係、手偏のつく漢字まで、指にまつわることを様々な視点から分かりやすく伝える絵本です。指を使うこと、使えることの大切さが自然に理解できるようになります。

あとがきは以下の通りです。

(引用はじめ)
この頃は、日曜大工とか"ドウ・イット・ヨア・セルフ"か言って大人の方々が、さかんに手作りを楽しんでいらっしゃいます。結構なことです。

しかし、おとな以上に手を動かすことが、子どもには大切で必要です。
けれども、それは、なんでもかんでも手を動かすことが、器用になればよい、わき目をふらず動かしていればよというのではありません。

考える、工夫する、思案するーーーそうした大脳の働きを誘い、対応しているからこそ大切で大事なのだということをくみとってていただきたいのが、私の願いです。
(引用おわり)

あとがき冒頭のカタカナ部分は"Do it yourself."の事です。

上の絵は前扉で、こういった手遊びも子どもの成長にとって必要なものだと気付かされます。

2017年12月10日まで開催の「だるまちゃんとあそぼ!かこさとし作品展」(藤沢市民ギャラリー)でこの本の表紙にもなっている場面を展示しています。

今から40年前に描かれた絵本です。当時の日本では公共の場での禁煙どころか、禁煙という発想がまだまだありませんでした。最近は受動喫煙に関しての認識も広がりましたが、大気汚染など地球規模で考える必要のある問題が残されているように思えます。

あとがきをご紹介します。

あとがき

(引用はじめ)
人間は、自分の有利になることや益することに貪欲であり、不利で悪くなることには決して手を出さないものだーーーと思いがちですが、それには「目先だけの」とか「感覚的に」とかを付け加える必要があるようです。

自分の子には決して悪いことや不利になることをしないはずの両親のなんと70%が、同室でタバコを吸っておられる例が、このことにあてはまります。

その上、「ずーっと赤ん坊の時からすってますけど、何ともございませんよ。」というお母さんなどいらっしゃるものですから、もっと次元の高い指導やしつけは、もっと「目先だけ」、「感覚的な」程度に止まっているのではと疑わしくなるわけです。

ともかく、今や空気は、残念にも高価で貴重なものとなりつつあるのは事実のようです。困ったことです。
(引用おわり)

尚、かこさとし・からだのほんシリーズ10巻のうちの第2巻『たべもののたび』は越前市絵本館で展示中ですが、2017年11月12日までとなります。どうか、お見逃しなく。

年賀ハガキの発売が話題にのぼり、来年が気になる時期になりました。

昨年(2016年)NHKラジオ深夜便「人生のみちしるべ」でお世話になったアンカーの村上里和さんのインタビューが「母の友」(福音館書店)2017年11月号の特別記事「ラジオが好き」に掲載されています。その中で絵本のこと、朗読のこと、そしてかこさとしのインタビューを聞かれた方からのお手紙のことなどが語られています。

「ラジオ深夜便」の放送で反響をよんだ「珠玉のことば」が週ごとに記されている「NHKラジオ深夜便日記手帳2018」には2016年の番組で放送されたかこさとしの言葉も登場します。(下の写真、日記帳の右下にかこさとしのことば。)様々のお立場の50人を超える方のことばには、深く心に響くものがあります。

毎年発行されてきた「かこさとしおはなしのほんカレンダー」ですが、来年は大きなサイズになって家族の予定が書き込める月ごとの「からすのパンやさん一家ファミリーカレンダー」となります。毎月、からすたちが皆さんのスケジュールをしっかり見守ります。

今年もあと2ヶ月余り、どうぞお健やかにお過ごし下さい。

藤沢市民ギャラリーで「だるまちゃんとあそぼ! かこさとし作品展」が始まりました。

本展の特徴をご案内します。
第1に「だるまちゃんシリーズ」8作品全てからの出展で特に『だるまちゃんととらのこちゃん』の全画面がご覧いただけ、これは今までの展示会ではなかったことです。それに加え、だるまちゃんの下絵や珍しいものもあります。

第2に、これも展示会初登場の1952年制作の大きな絵「おもちゃの国に朝がきた」をご覧いただけます。かこがセツルメントでボランティアとして活動し始めた頃、子どもたちにお話しをしたり遊んだりするために描いたものです。

第3には、藤沢にちなんだ作品を展示しています。江ノ島水族館で取材をして内容を確認した『クラゲのふしぎびっくりばなし』(2000年 小峰書店)や藤沢市の姉妹都市である中国・昆明市に関する『万里の長城』(2011年福音館書店)や、本年、文化勲章を受けられた藤嶋昭先生との共著『太陽と光しょくばいものがたり』(2010年 偕成社・下の写真)もあります。

他には「からすのパンやさん」「どろぼうがっこう」(いずれも1973年偕成社)や最新刊『コウノトリのコウちゃん』(2017年小峰書店)など約50点が並びます。是非お出かけ下さい。

下の写真のだるまちゃんとくまさかせんせいは会場出入り口脇に設置されご自由に写真を撮れます。(展示会場内での撮影はご遠慮下さい) また、だるまちゃんしんぶん号外もあります。

おはなし会

尚、11月18日(土)にはお話し会が11時からと13時からの2回あります。参加無料、申し込み不要ですので当日会場にお越し下さい。時間は30分から40分の予定です。

1967年の『だるまちゃんとてんぐちゃん』、翌年の『だるまちゃんとかみなりちゃん』に続き『だるまちゃんとうさぎちゃん』が出版されたのは1972年、こどものとも2月号としてでした。その時の折り込みふろく「絵本のたのしみ」(下の写真)に掲載された著者による解説をご紹介します。

かこさとしによる解説

(引用はじめ)
私が「だるまちゃん」の絵本を書くに至った動機は、日本の子供たちにふさわしい、日本的な風土や香りを伴った筋と内容、主人公でつづってみたいと思ったのに発しています。外国の優れた絵本を見る度に、そこに出てくる登場者や脇役たちの服装やしぐさや背景や、ときには手にもつ小道具や刺繍の模様に、ちゃんと風土に培われた意味があり、民族性がいきづいていることに気がつきました。優れた翻訳家や解説の努力によっても、埋めつくせないよさがあることがうらやましかったのです。狭い偏った国粋主義などではなく、しかしやはり日本の風土に育ち、日本の言葉を語り、日本の歴史の中に生きていく子供たちには、バタ臭いものや無国籍的なストーリーより、はっきりと日本的であって、しかも現在の子どもにふさわしいものが一つぐらいあってよいだろうと模索しはじめました。

そんな折、たまたま目にしたソビエトの「ビショリーエ・カルチェンキ」と言う幼年雑誌の中に「マトリョーシカちゃん」と言う楽しい絵物語を見つけました。ソビエトの民族人形であるマトリョーシカのところへ、いろいろな玩具たちが遊びにきて、相手がいないと思ったら、マトリョーシカの体の中から、次々と人形があらわれ、皆と楽しく踊りをしたという話です。感心した私は、まずい訳で「紙芝居」と言う雑誌に紹介しましたがこのときの示唆から、日本の郷土玩具や民族説話に主人公を求め、「だるまちゃん」を選ぶようになりました。

こうしてできたのがだるまちゃんシリーズと呼ばれる絵物語や絵話です。まっ赤な衣とひげと大きな目を持つ「だるま」は、日本の子どもたちはもちろん、大人の方にも好まれ愛される素晴らしい典型だったので、興のおもむくまま、とらやかっぱや白ぎつねや三猿や龍やくじらや金時やらとの交流交絡する話を次次作ったのですがそのうち三つだけが絵本となり、読んでいただいているという訳です。

ところが求められるまま、前述した動機などをご紹介すると、中には「日本の代表といっても、だるまは元はインドじゃないか」と言われる方がおられました。さすが博識の方は世に多いもので、もとはといえばインド香至国第三皇子であることや慧可断臂(けいかだんぴ)の禅宗の祖であることは指摘の通りです。しかしあの眼光の鋭い菩薩達磨師の像は、中国文化が磨きあげ、それが日本に渡来したものということがいえましょうが、木彫りや張り子のだるま(傍点あり)にまで化して、敬愛し民族化したとき、それはインドや中国のものではなく、私たち日本のものといってよいでしょう。純粋な土着性だけを日本とするなら、騎馬民族や南方漂流民としてのわれわれの祖先を排除しなければならぬという妙なことに至ります。

さて、こうして誕生した「だるまちゃん」に遊びとしての要素をもりだくさんおりこんだのが「うさぎちゃん」との物語です。しかしその中に慧眼(けいがん)な方は一種場違いな人物が見えがくれするのにお気づきでしょう。丹下左膳と座頭市です。戦前チャンバラのすきな子どもたちは丹下左膳ごっこにあけくれていました。戦後はチャンバラどころか遊ばなくなってしまいました。そしてこの二人とも障害をもちながら悪に敢然とたちむかった人です。この二人を創作された林不忘さんや子母沢先生に感謝しながら、なぜ、こんな伏線をしたのかを、大人の方はその教養でちょっと考えていただければ幸いです。
(引用おわり)

上の写真は裏表紙、左端の雪だるまに注目。

『だるまちゃんとうさぎちゃん』は、11月8日から12月10日まで藤沢市民ギャラリーにて開催の「だるまちゃんとあそぼ! かこさとし作品展」にて2場面を展示。また11月16日より越前市ふるさと絵本館にてほぼ全場面を展示いたします。ぜひご覧下さい。

すっかり秋らしくなり『そろって鍋もの にっこり煮もの』が嬉しい季節になりました。

食いしん坊の誰かさんは、夜寝付けない時に、羊の数を数えるのではなく、おでんを食べるとしたら何からどんな順番で食べようかなあと想像するそうです。そんな事をしたら尚更目が覚めてしまいそうですが、この本の1ページは、おでん鍋を囲む笑顔の一家の会話(下の写真)から始まります。まずは前見返しにある〈この本のねらい〉をご紹介します。

〈この本のねらい〉

ゆっくり煮こんでほしい

(引用はじめ)
食べものを煮たりたいたりという事を物理化学的に味気なくいえば、食品を水とともに加熱する工程となるでしょう。しかし、その水の量や加熱処理の時間、温度によって「煮こんだり」「煮つめたり」「煮っころがしたり」といういろいろな料理となり、それにふさわしい大きさや深さや形や材質の加熱容器がさまざまな鍋となって登場します。

それでは、一体どんな煮たきの操作によってどんな料理に変わるのか?どんな処理を行うために、どんな鍋が用いられのかーーーどうぞこの巻でゆっくり煮こみ、とっくり煮つめてみてください。
(引用おわり)

さらに著者の言葉が続きます。

煮たきもののかくし味発見!

(引用はじめ)
煮たきすることは熱を加え食品をやわらかくするだけでなく、「ふるさと」とか「おふくろ」といった味がわきでる不思議な様子を4~5、6~7ページにのせてあります。

煮るものといえば、あなたの一番好きな、おでんのたねはなんでしょうか?20〜21ページの絵(下の写真・一部)の中にあれば幸いです。

こうした日本の煮込みものは、シチュー(10〜11ページ)とか、ポトフやボルシチ(12~13ページ)とかと、どうちがうのか、ぜひおたしかめください。

そして全国のなべものめぐり(24~31ページ)や見返しの煮もの、汁ものの日本地図によって、忘れていたなつかしい味を思い出していただきましょう。

このように、この煮もの、たきものの巻は各所にちりばめた、いろいろなかくし味をお楽しみいただく発見の絵本です。
(引用おわり)
尚、漢字には全てふりがながあります。

最後のページには、次のようにあります。

寒い季節の暖炉の魅力

(引用はじめ)
日本でも外国でも寒い地方では、冬一日中暖炉を燃やし続けます。その熱源を生活している人々は見逃しません。湯をわかし、薪や衣服を乾かし、なべをかけます。こうして暖炉を必要とする生活は、暖炉を使っての料理や、それを囲んで集う家族や隣人との接触親和の場をつくります。したがって暖炉という熱源は、単に料理づくりに役立つだつだでなく16〜17ページ(下の写真・一部)にご紹介したように、まわりをかこむ人々を結びつけ、心をあたため、会話や笑いをはずませていくという事です。この不思議な魅力、すばらしい威力を北国の冬の暖炉ばかりでなく、いろいろな煮もの、たきもの、なべものが秘めている様子をお知らせしたのが、この巻です。北国の冬生まれ一人として、この本をお読みいただいた事を感謝し、南国生まれ方にも、この食べごとを見つけられるよう祈ります。
(引用おわり)

さらに、後ろ見返しには著者から読者の皆さんへの言葉があります。

台所の代表は何か?

(引用はじめ)
簡単に台所を、絵であらわすにはどうしたらいいでしょうか?魚や野菜をかいても店屋さんと間違えますし、ガスレンジや冷蔵庫は、よほど上手でないと手提金庫が物入れになってしまいます。という訳で、一番早くてやさしいのは「なべやフライパンのある部屋」というあらわし方だと言うことになりました。やはりなべやフライパン(これも浅い片手鍋の1種です)は、台所を代表する道具であることがわかります。

この台所の代表は、その役目である煮たきのための、食品と水を収めておく容器としての機能と、熱を加え、伝える、種々の材質の壁を持っています。さらにフタのあるなし、持ち運びのための柄や取手、通気穴や中底のあるものなど、多くのなべが工夫され使われている様子を、どうぞあらためて見てください。
(引用おわり)

鍋ものだけあって著者の熱い思いが伝わってきます。それにしても、おでん好きの様子、さては、、、?!

地中に住む虫といったら何が思い浮かぶでしょうか。
アリ、ミミズ、セミの幼虫。。。オケラの姿は、見かけなくなりましたが、絵本館のある越前市は豊かな自然が残り、田んぼにはオケラもいるそうです。

地中に住む一番大きな動物、モグラについての本『モグラのもんだい モグラのもんく』のあとがきをご紹介しましょう。

(引用はじめ)
小川が庭の西と南に流れている北陸の小さな家で、私は生まれました。幼児時代、この庭にできる土の小山が、モグラくんを知った最初でした。

戦争中の中学生時代、学校農場で作業していた時、たい肥の中にモグラくんの巣をみつけました。はだかの子を生物好きの友人が、ポケットにおしこんで、ニコニコしていたのを覚えています。

それ以来、ずいぶんモグラくんとはご無沙汰していたわけですが、今回ゆっくり接することができ、とても懐かしい、そして少し悲しい気がしていることろです。

終わりに、富山大学教育学部の横畑泰志先生から専門的なご教示と懇厚なご示唆を得たことをご報告し、御礼といたします。
(引用おわり)

あとがきにある「少し悲しい気がしている」とはどういうことでしょうか。

モグラがいるということはかなり豊かな土壌があることの証拠だとこの本でわかりますが、田んぼの世話をしている方によると、モグラが畦に横穴を掘ると水が抜けてしまい困るので厄介もの扱いされ、モグラやミミズなどを活用する手間のかかる有機的な農業ではなく農薬や化学肥料に頼るようになってしまっています。

ユネスコは2015年を「国際土壌年」とし、人類にとって不可欠な土壌が失われている危機を訴えました。かつて土壌改良剤の研究に携わっていたかこさとしは、この土壌の問題に強い危機感を持って執筆にあたったようです。『大地のめぐみ 土の力大作戦』(2003年小峰書店)も同様の意図で作成されました。

ところで、小学校4年生の国語の教科書(光村図書)下では、「生き物のなぞにせまりましょう」という項目で、本作を紹介しています。

かこさとしの絵本に『パピプペポーおんがくかい』という作品があります。いろいろな動物たちが音楽会を開くというお話です。この作品の最後に出てくる「演目」が「うみにうまれ いのちをつなぎ」というもので、観客もいっしょになって全員で大合唱というフィナーレになるシーンです。「うみにうまれ いのちをつなぎ」に曲を付けて下さった方がいらっしゃいます。「サッちゃん」や「いぬのおまわりさん」の作曲で知られる大中恩(めぐみ)氏です。「特報首都圏」(2016年NHK)というテレビの番組がきっかけでした。

2017年9月30日、紀尾井ホールにて開催された「メグめぐコール創設20周年記念演奏会」のコンサート最後の曲にこの曲が、大中氏最新の曲としてお披露目されました。合唱としては初演、ピアノの伴奏と混声で奏でられるハーモニーに聴衆一同、至福のひとときを過ごすことができたのは言うまでもありません。

実は大中氏とかこさとしの出会いは70年前、かこが東京大学の演劇研究会に所属していた頃にまでさかのぼります。『別冊太陽 かこさとし』(2017年平凡社)や、『現代思想 かこさとし』(2017年青土社)にも記載がありますが、かこが大学を卒業する直前の1947年2月、近隣の子どもたちを招待し、かこ自らが脚本、演出、(踊りの)振付けなど、舞台美術の一切を取り仕切り上演した童話劇「夜の小人」(未発表)の作品の中で歌われる「サタンの合唱」「祈りのうた」を作曲したのも他ならぬ若き日の大中恩氏でした。

テレビ番組制作のスタッフはそのような経緯は全く知らず、大中氏と同年代のかこさとしの詞は大中氏の新曲創作のきっかけになるのではないかと考え、氏に相談する前にかこに詞の提供を依頼してこられました。数々の名曲を作られた大中氏との接点については、家族も詳しく聞いたことがなく、そんなご縁があったこと、また氏のお父上が「椰子(ヤシ)の実」の作曲者大中寅二氏であること(作詞は島崎藤村)、などもその時初めて知り、ただただ驚くばかりでした。

こうして偶然のご依頼により70年の時空を超えて2016年、番組の撮影で二人は再会をすることになったのです。番組のナレーションは大中氏が古い友人を訪ねた、と淡々と伝えるにとどまりましたが、その裏には事実は小説より奇なり、としか言いようのない、こうした事があったのです。

氏は「夜の小人」上演のことをよく覚えていらして、公演の前日に近くのお寺で合唱の練習をされたとエピソードをお話し下さいました。かこにとってはまさに夢のような再会でした。『パピプペポーおんがくかい』のあとがきは次のように始まります。

「私は柄にもなく若年のころ、演劇など、舞台芸術に関心をもっていました。」

こうして2017年9月30日は、若き日の情熱が通じたかのような邂逅により生まれた90代コンビによる合唱曲が発表された記念すべき日となりました。

武生中央公園は菊人形展の開催場所としても長い間親しまれています。本年からは入場料が無料になり、「だるまちゃん広場」はじめ公園全体が菊の庭になります。「パピプペポー広場」のメリーゴーランドやモノレール、「コウノトリ広場」の観覧車などをはじめ期間限定の遊具(有料)、飲食施設も増設され楽しみ盛り沢山です。

上の写真は『こどもの行事 しぜんと生活9月のまき』(2012年 小峰書店)の表紙と裏表紙。菊花鑑賞の場面には、かこさとし幼き日のふるさとの思い出がにじみ出ています。

2017年菊人形展については以下をご覧ください。

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