編集室より

『あおいめ くろいめ ちゃいろのめ』(1972年偕成社)の四十年ぶりの続編として出版された本作は、前作同様、切り紙を使った画面構成が特徴です。これは前作のユニークな制作経緯と関係しています。

1950年代、かこさとしが川崎でセツルメント活動として、日曜日ごとに子どもたちに絵の指導や紙芝居などを通じて子どもさんたちと遊んでいたのですが、その中でハサミの使い方が上手にできないことに気づきました。そこで子どもたちに色紙を円形に切り抜かせ、それを使って顔の表情を作るという遊びをしました。子どもさんたちが切り取り、貼り付けてできた様々な表情の顔を、今度は加古が配置して、線で手や足を書き加え紙芝居に仕立てました。

子どもにしてみれば自分が丸く切り抜き、さらに小さな丸を切ったり貼ったりして目や口にして出来上がった自分の分身のようなものが、紙芝居に登場するのですから嬉しくて楽しいはずです。お友達が作った顔もわかっていて、誰ちゃんのものだとか、自分のが出てきたかとかそんな声とともに紙芝居に夢中になったようです。

それが元になって刊行された『あおいめ くろいめ ちゃいろのめ』にはもちろん、目の色が違ってもみんなお友達という願いも込められています。子どもたちの名前は紹介されていませんが、続編ではあおいめのめりーちゃん、くろいめのたろーちゃん、ちゃいろのめのばぶちゃんという設定になっています。

さて、続編では加古自身が最初からハサミを持ったわけですが、出来栄えについては「あとがき」にありますので、ご紹介いたしましょう。

あとがき かこさとし

(引用はじめ)
この巻は、前作品『あおいめ くろいめ ちゃいろのめ』の続編で前作の挿画は円形の切り紙を主軸にした「はり絵」でした。それは当時指導していた子ども会の子らが、元気で野性的だったのはよかったのですが、どうも手先が不器用で、七夕の飾りを作るときなどさんざんでした。それで色紙を大小の円形にハサミで切るよう指導して、器用さの練習とした訳です。
できた大小の丸い紙をすてるに忍びず、目や顔、いろいろな表情をつくり、紙芝居にして、子らの作品(?)がこんなに変身活用できることを示したという訳でした。

その続編なので、同様の丸い切り紙を軸にしたのですが、40年の歳月は、作者にいろいろの持病、特に視野欠損をもたらしました。当時の数倍の努力と時間を傾注したのですが、その頃の子ども達よりひどい歪んだ切紙で、慙愧の至り、お許しの程。
(引用おわり)
尚、本文は縦書きで漢字には全てひらがながふってあります。

使用した紙はミューズ紙、ラシャ紙などもありますが、7-8ページの本屋さんのウグイス色や21ページのまな板など、加古が越前市の和紙の里で選んだ越前和紙を使用しています。

夏休みのおやつ作りのヒントになりそうな本です。暑くて外出するのが億劫なときこそ、お家でレストランやカフェの気分はいかがでしょうか。前見返しには布ナプキンの素敵なたたみ方、前扉には「紙ナプキンのかざりおり」がいろいろと紹介されています。そのページにある著者の言葉は以下です。

デザートですか? おやつですか?

(引用はじめ)
この本はおもにくだものやお菓子について書いてあります。あなたは、食事がすんだあとのデザートとして食べるのが好きですか?それとも食事と食事の間のおやつにめしあがりますか?どちらにしてもすばらしいことですね。

わたしの年がわかって癪ですが、わたしのちいさいころ、ビスケットやリンゴなどは、りっぱな食料で、それで何食も何日もすごすなど、めずらしいことではありませんでした。いまでも世界のどこかで、うすいおかゆや山野のくだもので飢えをしのいでいるというニュースに、胸が痛みますが、デザートやおやつをとるというのはそれだけ食料が豊かで、経済的にめぐまれているだけではなく、主食とちがった味を楽しむこころのゆとりがあるということです。

ぜひ、その広い豊かな心のゆとりを、よりよきものへ、より高いものへむけて、もとめ、すすんでくださるよう、くだものやお菓子にかわってお願いします。
(引用おわり)
本文では全ての漢字にひらがながふってあります。

このシリーズには、今までもご紹介したように前書きやあとがきに当たる言葉以外にも〈この本のねらい〉や大人に向けての著者のメッセージがきわめて多く掲載されています。
次にあるのは、通常のあとがきに当たる部分です。

色やかおりも、だから目も鼻も

(引用はじめ)
いまでは、あまりみられませんが、すこし前までくだもの屋さんの店先で、しょっちゅうりんごやネーブルをピカピカ、ツヤツヤ布でふいてならべていました。

また、お菓子屋さんのショーウィンドの前で、子どもといっっしょにしゃがみこんで、「あれがほしい」「これが食べたい」と長いこと鼻をつけていたことがあります。

いまでもくだもの屋さんの店先やお菓子屋さんの飾り窓は、ほかのお店先には悪いほど、とてもきれいで、鮮やかな彩りに満ちあふれています。色ばかりではなく、ふつうの食べものより、ずっとずっとすてきなにおいや、かおりがただよってきます。

お菓子は、つくる人が色やかおりも考えてつくったものですし、くだものも動物や鳥が、好んで食べ、種子を広めてくれる作用が、進化の過程で目立つ色やにおいのよいものを残し、人がさらに改良栽培した結果でしょう。

したがって、ただお腹がふくれ、栄養があればよいというのではなく、くだものやお菓子では、色つやの美しさやまろやかさやつりあいのとれた深みなどが大切なこととなります。どうぞこの本で、見出された新発見をふくめ、たっぷりゆっくり目も鼻も舌も、お楽しみください。
(引用おわり)

そして最後には大人にむけた以下のようなメッセージがあります。

健康と生活をじぶんで律する力

(引用はじめ)
甘いケーキは虫歯になる、くだものも糖分があるから肥満のもとという人がいます。活発な成長期の子供には、お菓子やくだものは第4の食事の役を果たしますが、ただむやみに飽食過食したのでは、必ずどこかに問題が起こります。食前食後の処理や始末はもちろんあそびやスポーツ、家事手伝い、そして労働など正しい生命の燃焼である身体各部の運動活動がなければ、健康を損なうこととなります。

嗜好品と呼ばれるように、食べるかどうかは本人の選択なのですから、自らのからだや生活を自ら律し改良する力をもつきっかけとなるよう、ぜひお菓子やくだものを利用し、指導されるよう期待いたします。
(引用おわリ)

『たいふうがやってくる』(1972年 童心社)は、こんなのどかな表紙(上)から始まる紙芝居ですが、良く見るとスズメは急いでいるようです。次の場面では、虫たちもしっかり木陰に隠れます。次には、天気予報で台風の接近に注意を呼びかけ、雨戸がとばないように、船が流されないようにと準備を進めます。台風を擬人化し(下)、皆で力を合わせて被害を最小限に食い止める様子が幼いお子さんにもわかるように作られ、台風一過の秋晴れのもと、家族みんなの笑顔で終わります。

残念ながらこの紙芝居もーその1ーでご紹介した絵本『たいふう』も絶版ですが、一部の場面は『別冊太陽 かこさとし』(2017年平凡社)に掲載されています。

台風と竜巻については『台風のついせき 竜巻のついきゅう』(2001年 小峰書店)に詳しく、お子さんから大人まで楽しめる内容です。2016年9月にこのサイトの〈あとがきから〉コーナでご紹介していますのでご参考になれば幸いです。

『海』(1969年福音館書店)でも台風について触れています。32ページのサンゴ礁に続く海上(下・33ページ)では竜巻、そして「たいふうのたまご」の雲が描かれ、その間にある「りょうふう丸」(凌風丸)は著者による解説によると「気象庁所属の1200トンの観測船です。」上空には気象衛星が見えます。

大自然の力を目の当たりにする台風や竜巻についての知識を持ち、備えや避難について日頃から考えておきたいと思います。

1964年の東京オリンピックの頃は、台風は秋にやってきてその後は涼しい空気に入れ替わりすっかり秋が深まる、という感覚でした。しかし、現在は地球温暖化のせいでしょうか、今年は早くも台風が日本列島に上陸し大きな被害をもたらしています。


『たいふう』(1967年福音館書店)は、まだ気象衛星による情報がなく富士山頂のレーダーや定点観測船や飛行機による観測に頼っていた頃の制作です。日本列島に近づく台風とそれに対応する人々の様子を伝えます。被災状況を伝えるカメラマンの姿、そしてそのカメラがとらえた映像がテレビ局のアナウンサーの背景に大きく映し出されています。実はこのようにアナウンサーの後ろに映像を出すことは当時は一般的ではなく、やがて広まっていくのですが、海外ではすでにこのような放映スタイルでしたので、いち早く加古は取り入れたのだと語っておりました。
なぜこのような絵本をつくったのか、あとがきともいうべき著者の言葉をお読み下さい。

小さな台風の絵本 加古里子

(引用はじめ)
私は、今まで台風を主題にして、4度作品を試みました。1度は童話、1度は記録画、1度は詩、そして、紙しばいです。今度の絵本では、全く今までとは異なった、新たな意図をもって作りました。

その第一は、台風のこまやかな現象の絵ときや、知識の断片を提供するのではなく、台風とはどんなもので、どこからどこへ行き、何をするものかといことを、大づかみにでも1本の柱として、えがきたいということです。

そこで、この「たいふう」では、現象としては空気のうずであり、形としては雲と雨のかたまりであり、感覚的には強い風雨の台風が、生まれ、育ち、発達し、最盛を経て、衰え消滅する生涯を、法則ある自然現象の1つのサイクルとしてえがきだすようにつとめました。

そのために第一場面から第13場面に至る流れを、台風の成長過程に伴い、時間の推移、状況配置の変化、それに応ずる機能活動の様々な様相をもってあらわし、1つの始めと終わりを結ぶみちすじとして表現するようにしました。

これらの各場面の地理的配置を表紙に記しておきましたので、どうぞご覧ください。

今1つの意図として、自然現象としてだけの台風ではなく、地球に発生する年間約60と言われる熱帯性低気圧のうち、約半数近くの通り道に当たっている日本と言う国の宿命的な特殊性を、そこに住む人々と生活との関係で描きたいと念じたことです。

台風を軸として、そこに展開される海上、離島、港湾、都市、村落、平地、山間など、各地各様な人々とその生活活動を、感情と現実性を持って展開したいと考えました。

その中では、単におそろしいもの、こわいもの、対抗できないものとしての台風ではなく、むしろ、それに工夫を重ね、協力し、それに雄々しく立ち向かってい前進的な人間のすがたを、できるだけうきぼりにしたつもりです。各場面に登場する児童の姿をかりて、あるいは柿の実の赤味や、にわとり、赤とんぼの姿に親近感と詩情をちりばめながら、あかね色に染む夕やけ空に、健康で幸福なあすの社会、未来の姿を予見したいと思いました。

作者の意図が、どこまで的確に達せられたか、ご批判いただければ、さいわいです。
(引用おわり)


この言葉から半世紀が過ぎた今日では予報や警報の伝達方法は進化しましたが災害がなくならないのが現実です。著者が願ったような「健康で幸福な社会」は、果たしてどれくらい実現しているのでしょうか。

(上の写真は裏表紙。メガネの予報官の左にある雲と雨のマークが台風発生地点、船、飛行機はそれぞれの観測地点を表す。冒頭の表紙絵には、測候所、灯台、堤防が壊れた所が示されている。)

前回ご紹介したのは血の話でしたが、いったい血はどこで作られるのでしょうか。その答えがこの本の中にあります。
子ども時代の外遊びの大切さの理由の一つは、からだ作りにありますが、本を読んで気づいて、体を動かして、いただけたらと思います。とはいえ、猛暑が続いていますのでどうか十分気をつけてお過ごし下さい。
あとがきをご紹介します。

(引用はじめ)
最近、子どもの骨折が多いということを聞きます。動作が機敏でなく、運動感覚が不十分なため、うろうろして事故にわざわざとびこむようだといいます。

そして、なにか骨格自体の組成が、変質してるいるみたいに弱く、もろき、折れやすいことが指摘されています。

こうした風潮をうけて、幼稚園などでは、できるだけ骨折などの事故起こさぬ安全策(?)をとっていることが、ひそやかにささやかれています。

そうした中で「骨太な、しっかりした子」、「硬骨漢」を取りもどしたいと思ってかきました。
(引用おわり)

かこさとし からだの本 4は血液についてです。もちろん人間の血液は赤色で、皮膚から透けて青く見えるのは異なる光の波長が皮膚に入り込んでいるからだそうです。生き物の中には青色の血液をしている動物がいて、 タコやイカなどの軟体動物や甲殻類、ダンゴムシやサソリも青い血なのだとか。

床屋さんの店先にある三色の看板の、赤は動脈、青は静脈、そして白は、かつて床屋が外科を兼ねていた頃、外科は赤白のシマシマで、理容は青で現したからとか。1700年代のフランスやイギリスにに遡る由来があるそうです。

さてこの本の題名にある「あか」は赤血球、「しろ」は白血球のことですが、さらにリンパ液は黄色として、小さいお子さんに理解できるような説明になっています。
あとがきをご紹介します。

あとがき

(引用はじめ)
私たちの体の仕組みのうち、血というものは、ふしぎですばらしいもののひとつです。私たちおとなは、子どもが、けがで血を流したりすると、おどろいたり、さわいだり、あわてたりします。けれどもおとなは、血のだいじなことを子どもよくわかるように話してやっていません。
この本は、血が、どんな役目をもっているのか、どんなだいじな仕事をもっているのかを知っていただくために、やさしくかいたものです。
(引用おわり)

2018/07/07

手書き文字

本の題名は、現在ではデザイナーさんがその字体を考えてくださる場合が多いようですが、かこ作品の中には、自身の文字が使われているものがあります。『あさですよ よるですよ』『あかですよ おあですよ』(いずれも福音館書店)、『きんいろきつねのきんたちゃん』(初版は学研、のち復刊ドットコム)がその例です。

題名ではないけれど本の表紙や裏表紙に、かこの手書き文字が見られるものもあります。
『かわ』(1962年福音館)の裏表紙、地図の記号が示すのは何か、この文字は加古の手によるものです。地図そのものも加古の創作で、どこかの地図を流用しているのではありません。

『にんじんばたけのパピプペポ』(1973年偕成社・下)の表紙には、登場するこぶたちゃん達の名前が、かこの手書きでそえられています。

ユニークなのは『太陽と光しょくばいものがたり』(2010年偕成社・下)の表紙に書かれている文字。全てが太陽 の光を形容するような言葉ですがそれがデザインにもなっていて、よくぞここまで考えたと言わざるを得ない画面です。ひかり、ぴかり、こかり、かがり、まかり、ぢかり、、、、

特に古い時代のものは、小見出しなどにもたくさん手書き文字があります。『かこさとしあそびの本5巻 』(2013年復刊ドットコム)には、温かみのあるレタリングがいっぱい。その文字を見るのも楽しいです。

『海』(1969年 福音館)のような科学絵本でも図表の中に書き文字があったりして、かこさとしファンなら嬉しくなるところです。

特に手紙は手書きがいいものです。『こんにちは おてがみです』(2006年福音館)では、絵と手書き文字の素敵なお手紙10通がお子さんたちにあてて集められているユニークさが人気。続編もあります。

2018年7月7日から開催の川崎市市民ミュージアムでの展示会でも、かこの手書き文字原稿がご覧いただけます。是非ご覧下さい。

2018/07/01

夏の準備

真夏日、猛暑日と連日の暑い日々、夏の涼やかさを演出する団扇は今が仕上げの大忙しの時期だそうです。

昔は「左団扇」などという言い方もありましたが、1964年東京オリンピックが開催された頃は、エアコンどころかクーラーと呼んで家庭に一台あれば上等でした。

だるまちゃんがてんぐちゃんに出会ってまず気になったのがうちわ。家中のうちわや扇子を集めるこの場面でおかあさんが抱えている漢字が書かれたうちわに注目して下さい。ここにあるのは加古にゆかりのある文字ばかりなのです。

「加」があります。高校生の時、俳句を中村草田男先生に習いその影響で本名「さとし」をもじって「三斗子」としていたことがありました。その「斗」。のちに紙が貴重で三文字ではなく二文字しか印刷されなくなってしまったため「里子」と書くようになりました。

「涼」「早」は、漢詩を作る時のペンネームからきていますが、うちわにはぴったりです。ご存知のように、ずらりと並んだうちわや扇子の中にはだるまちゃんの欲しい物がなく、ヤツデの葉を見つけるわけですが、このヤツデは建物北側の日陰でも育つので日本家屋では洗面所の外あたりに植えられていることが多かったように記憶しています。そのせいか昔の人は不浄だとか言って生け花などには使 わなかったと聞いたことがあります。一方で縁起がいいと好まれる方もあるとか。いずれにしても見かけたらすぐにわかる、てんぐちゃんのうちわに負けない形です。

かこさとしのふるさと、越前市は言わずと知れた越前和紙が有名で、手漉きの和紙でこの場面に出てくる図柄のうちわも作られています。そんな光景が報道されていましたのでご紹介しておきます。

http://www.hokurikushinkansen-navi.jp/pc/news/article.php?id=NEWS0000014893

1959年 福音館書より出版されたデビュー作『だむのおじさんたち』には長い解説のようなあとがきがありました。(当サイトで掲載) この本が2007年に復刊され、2018年現在に至っています。
復刊にあたり、帯にかこさとしの言葉が書かれていますので、あとがきではありませんが、ご紹介します。

(引用はじめ)
この絵本は、工場の研究所勤務の昭和30年代、休日は工員住宅の中の子ども舎の世話をしていた私が、福音館書店編集長の松居さんの依頼で初めて描いた作品。時代にふさわしいものと言う大きなテーマなので、停電が頻発する当時ゆえ、水力発電のダム建設を題材とした。半世紀を経て、絶版だった本書が再刊されるにあたり、種々の感慨とともに、この安定完成された水力発電の建設技術が再び政治とカネに乱されぬよう希求しているところである。
加古里子2007年11月
(引用おわり)

「かこさとし」ではなくデビュー当時の漢字表記「加古里子」が目に留まります。

2018年7月7日から川崎市市民ミュージアムで始まる展示会「かこさとしのひみつ展」では、この『だむのおじさんたち』の全9場面と表紙を展示します。全点を展示するのは今回がはじめてです。じっくりご堪能ください。

2018/06/20

七夕

小さいお子さんたちにとっては楽しい行事の一つである七夕。
その由来については、『なつのほし』(1985年偕成社)や、表紙に伝統的な七夕飾りが描かれている『こどもの行事 しぜんと生活 7がつのまき』(2012年小峰書店)に詳しくあります。

飾りものの作り方は、この本や、『あそびずかん なつのまき』(2014年小峰書店)、5冊シリーズ『かこさとし遊びの本』(2013年復刊ドットコム)にいろいろ紹介されていますが、その中には、かこさとしが小さい頃に幼稚園で教わったものにアレンジを加えたものも含まれています。

七夕を背景にした絵本としては『かこさとし語り絵本 4 せんだんよもぎ』(1979年偕成社)があります。せんだんとは千だん。一だんは「こどもがせおえるだけの草の山」の量だそうです。「一だんのモグサをつくるには、百だんのよもぎがいります。」(本文より引用。ただし本文は、分かち書きで漢字にはかながふってあり縦書きです)

貧しい娘おかよちゃんは、もぐさを千だんをつくるため、気の遠くなるような量のよもぎを長いあいだ苦労して摘み、ようやく薬問屋から得たお金で赤い小袖を手にすることができました。

ところが、そのよもぎはお殿様の山から採ったのだと代官所のさむらいに言いがかりをつけられ命を落とすことになってしまいます。

怒った村人が反旗を挙げるのですが、それが七夕の日。陰惨な黒々とした雨の中、笹に飾られた小袖の赤色だけが画面の中に描かれるこの場面からは、かこさとしの思いがひたひたと伝わって来ます。

あとがきをご紹介しましょう。

『せんだんよもぎ』

(引用はじめ)
日本には、多くの農民や宗教的一揆の歴史が残っています。それは、当時の庶民がどんなに苦しい生活の下で暮らしていたかをもの語るとともに、その悲惨な終末は、今なお私たちの胸を痛くします。私たちの祖先が生命を賭けたこの事柄が弾圧の過酷さとひっ迫した状況の為でしょう、昔話として残っているものが非常に少なく、あっても実情に遠く、詩情に乏しいのが残念でした。

そうした中で得たこの原話をもとに、小さなお話にまとめ、ある機関紙に発表したのは15年ほど前のことでした。

私達の現在の生活が、こうした先人の苦闘によって、少しずつ良くなってきたことを語りつぎ、今の大人やこれからの子どもは、どう生きなければならないかを語り合うよすがに、この絵本が役だってほしいと願っています。
かこ さとし
(引用おわり)
(本文は縦書き、漢字には全てふりがながあります)

このお話をしかけ紙芝居にした『てんもく山のおかよちゃん』(童心社)も刊行されました。その出だしは次のようです。
(引用はじめ)
むかし、かいの くにの ふえふき川を さかのぼった ところに てんもく山という 山がありました。

その 山の ふもとに おとうも おかあも しんでしまった おかよちゃんという むすめが すんでいました。
おかよちゃんは、まだ ちいさいのに ほかの うちの はたけの くさとりを したり、、、、
(引用おわり)

現在の山梨県、笛吹川の上流には天目山、そして江戸幕府の命を受け漢方薬の原料を栽培し納めていた屋敷が今でも残っています。今年の七夕、彦星織姫は見られるでしょうか。