編集室より

「にんじんばたけのパピプペポ」(1973年偕成社)は出版以来、熱烈な支持をいただいている絵本の1つです。

なまけものの20匹のこぶたが、仲良しになって、にんじん畑を耕すまでになる物語で、教訓めいていないけれど見習わなければと思う物語です。この20匹のこぶたの名前が、すこぶる変わっていて、全てパ行、バ行の音で始まるのです。パタ、ピタ、プタ、ベコ、ポポコ・・・

どのような意図で作られた物語なのかを、著者があとがきで語っています。

あとがき かこさとし

(引用はじめ)

病気から身体をまもるには、病気にかかってからさわぐより、日頃から病気にかからないよう注意したり、身体をきたえたりするほうが大切だといわれています。いわゆる『予防医学』が大事なわけですが、そうはいっても、いったん病気にかかってしまったら、病気の苦しみをやわらげたり、熱をさげたりする『対処療法』も必要となってきます。

私が20年ほど、子ども会で遊びころげまわっていたころの目的は、十年、二十年後の子どもたちや、その時の世の中が少しでも楽しく、豊かにと念じた『予防医学』のようなものでしたが、そうした子どもたちにも日日いろいろな悩みや困ったことがあって、毎日、わたしたちにその相談がもちこまれました。

たとえば、女の子とみればすぐいじめたがる子だとか、六年生にもなっておねしょがなおらない子だとか、校長先生からふだつきの不良だきめつけられた子だとか、何かというと、すぐおぶさったり、ぶらさがりたがる子や、いつも三時間くらい家出(?)するくせのある子だとかのために、わたしたちはいろいろの『対処療法』を紙芝居やお話しや絵物語で試みました。それは、正式の童話や児童文学からみればおかしなものでしたでしょうが、わたしたちには、それがそのとき必要であったのです。

こんど本にするにあたって、すっかり書きなおしたのですが、その当の子はもう立派なおとうさんになっていて、今ではにんじんぎらいかもしれない子のために、いろいろ『対処療法』を工夫したり、子ぶたのおとうさんのように、せっせとはたらいているのではないかと思っています。
(引用おわり)

尚、本文は縦書きでで漢字にはすべてふりがながありますが、ここでは省略しました。

物語の最後のぺージには、出来上がった大きな劇場とこぶたたちの新しいレンガの家が見えます。この大劇場が続編「パピプペポーおんがくかい」」(2014年偕成社)の舞台となるのです。

"道具"というと何を思いうかべられますか。
調理器具、文房具、勉強道具、玩具、遊具、大工道具でしょうか。

「あなたのいえ わたしのいえ」(1969年福音館書店)の最終ページには次のような言葉があります。

「・・・いえは ひとが かんがえ くふうしてつくった おおきな くらしの どうぐです。くらすのに べんりな どうぐのあつまりです。・・・」

科学絵本「どうぐ」

科学絵本「どうぐ」は、その翌年1970年に福音館書店から「かがくのとも」11月号として発行され、2001年から現在にいたっては瑞雲舎で出版されています。「どうぐ」の書き出しはこうです。

「あなたの うちには どうぐが たくさん ありますね。」

朝起きて歯磨き、歯ブラシは立派などうぐです。スプーン(著書ではおさじという言い方)はすくうどうぐで、すくうどうぐの大きなものには・・・というようにページが進んでいきます。

上は「どうぐ」。福音館書店1970年版の折り込み付録(全8ページ)の3ページには、この本に寄せる著者の言葉がありますのでご紹介します。

道具を、かしこく使おう 加古里子

私たちは、毎日、道具をつかってせいかつしています。道具はあんまり身近で使いなれているため、その効用や便利さを忘れがちです。しかし、ひとたびゆっくり私たちの生活のすみずみをみなおしてみるとじつにさまざまな道具を、かず多く使っていることに気づきます。

家庭の主婦はもちろん、ちいさな子どもたちも決して例外ではありません。しかも、道具を使っていることを忘れがちなくらい、すでに道具は私たちの手足の一部、生活とはきっても切れぬものとなっています。それが、この「かがくのとも」の「どうぐ」第1章で、わたしがのべたいと思ったことです。

第2章は、そういう子どもたちや家庭内の身近な道具類の働き、機能がそのまま拡大され、強力化され、まちや工場で使われるということをかきました。これは機器設備とよばれるものです。巨大な工場の設備や大きなうなりをたてる機械が、なんのことはない、私たちの身近にあるものの、単に大きくなったものだということがわかれば、機械に対するつまらない恐れやおののきは無用のものとなります。はさみやおしゃもじを使う優越感をもって、そうした、なりだけが大きい機械に親しみ、対処するようにしたいものです。

(上は「どうぐ」10-11ページ)

以上、のべた2点は、あるいは、従来のほかの本でもかかれた点であったと思います。しかし、この「どうぐ」の本では、そのうえに、第3章をつけくわえました。

それは、小さな道具の集合集積、組み合わせによって、まったくちがう、新しい機能をもつどうぐがつくられるという点を、ぜひつけくわえたかったからです。近ごろのことばでいえば、システム化とか複合化とかいうことになりましょう。または、道具の質的変貌というようにいえるかもしれません。

以上の3つの章は、ある意味では、別々のものでありながら、たがいに関連し、補足しあって、現在の道具を物語ってくれる大事な点だと考えます。

ところで、マッチのじくというりっぱな道具を、時には、つまようじや耳かきに使うことがあります。この時、マッチ棒は、「火をつける道具」ではなく「耳をそうじする道具」となっています。つまり、道具というものは、その外見やかたちではなくて使う人の立場、条件によって、どんなにも変わってしまいまいます。道具が人びとの生活に役立ったり、目的を変えたり、逆に人びとを不幸にするかどうかは、それを使う人間の条件、立場が大事になってくることをしめしています。このことこそ、今日の道具のいちばん大事で忘れてはならない点だと思います。原子力などは、そのよい例でしょう。

なんだか、むずかしいことをかきましたが、以上が私の作品にはめずらしく(?)3つの部分からなっている理由ですし、やはり主題はなんとかの1つおぼえで、「みんなで、道具を、かしこく使おう」ということです。

2016/11/04

火災予防

上の絵は「ことばのべんきょう②くまちゃんのいちねん」(1971年福音館)の一場面です。
11月9日から15日までは「秋の全国火災予防運動期間」で、小学生や中学生による火災予防を呼びかけるポスターが掲げられているのを目にします。

80年ほど前、加古が小学生時代には火災予防のポスターを描いては賞をいただいていたそうです。なんとも皮肉なことですが、その賞状やメダルは空襲で全部燃えてしまいました。

「だるまちゃんととらのこちゃん」(1984年福音館)のとらのこちゃんのお家はペンキ屋さんで店内には[火気厳禁]の張り紙があります。大学時代は工学部、その後化学会社の研究所にいた加古にとっては火気厳禁は基本のき。そんな日々の染み付いた感覚が何気ない場面にも反映されています。

(「だるまちゃんととらのこちゃん」より)

小さなお子さん向けの平仮名だけの絵本ですから漢字のこの張り紙は難しそうですが、(火、気は小学校1年、禁は5年、厳は6年で習うそうです) シンナーを扱う塗装(これも看板に書いてあります)では、火気厳禁は必須です。お子さんと一緒に絵本を読んで下さる時にこういうところから防火の知識と合わせて漢字を読んだり覚えたりするきっかけを見つけていただけたら何よりです。

「ことばのべんきょう①くまちゃんのいちにち」(1970年福音館)の[だいどころ](p35)には消火器が備わっていて、絵には漢字で消火器とあります。

さらに「ことばのべんきょう②くまちゃんのいちねん」(1971年福音館)では、最初にあるように消防自動車が登場し、大晦日の場面では、薪をくべながら、せいろでもち米を蒸しているおじいさんの向かいに[火の用心]の張り紙がみえます。

空気が乾燥してくるこの時期、火の用心をいま一度気をつけたいと思います。

(トップページ見出しの消防車の絵は「からすのパンやさん」(1973年偕成社)の一部分です)

11月になりました

11月を迎え来年のことが話題になる季節になりました。

ご覧いただいているのは「かこさとし おはなしのほんカレンダー」11月(ケイエス販売)です。このカレンダーは、偕成社から刊行されているおはなしのほんシリーズ20冊の中から季節や行事にちなんだ絵を月ごとのカレンダーにしたもので、今月の絵は「からすのてんぷらやさん」から、紅葉が色づく会場での賑やかなおめでたい場面です。

「からすのてんぷらやさん」(偕成社2013年)の表紙と裏表紙。

この絵本は「からすのパンやさん」の4わのこどものうち3番目に生まれたレモンちゃんが、大きくなって思いもかけない事件に遭遇し仲間とともに奮闘する物語です。

あとがきの一部をご紹介します。
(引用はじめ)

私は戦災や震災の時、レモンさんのような方がたに何人も接して、平時では得られぬ貴重な教えをいただいてきました。そして人間の社会は、ただ大勢いるのではなく、たがいに助けあい、補いあって、「社会」がなりたつことを知りました。

それが、このお話しをかこうとおもったきっかけです。
(引用おわり)
尚、本文は縦書きで漢字には全てふりがながふってありますが、ここでは省略しました。

上は、来年2017年のおはなしのほんカレンダーです。2018年1月までの13場面と20枚のメモリアルシールが付いています。

絵本とは違い文字がありませんので絵をじっくり楽しんでいただけます。お忙しい日々、ふと見るカレンダーの絵に和んでいただけたら何よりです。

10月27日から読書週間が始まるのにちなみ、世界各国で愛されている名作童話の登場人物が勢ぞろいする、あそびの大惑星 5 「こびととおとぎのくにのあそび ー遊びの宮殿かんらん車ー」(農文協1991年)をご紹介します。

ピノキオ、ガリバー、シンデレラ、ヘンゼルとグレーテル、ドンキ・ホーテ、ふしぎのくにのアリスや赤ずきんちゃん、長ぐつをはいたねこ、日本のさんたろう、はなさかじいさんもでてきます。あそびの本なのにどうして?と思われるかもしれません。

例えばピノキオでは、あやつり人形の作り方、ガリバーの絵の中に隠れている人を探す絵探し、ふしぎのくにのアリスのトランプ手品 、ジャックと豆のきのことば探しなど、頭をひねる数字遊びや迷路あそび、一筆書き、四コマ漫画まで、まさに副題にかんらん車とある通り、あそび、遊びの連続です。

〈アトムやスーパーマンもピーターパンもとんでゆく〉の項目では、それぞれの飛んでいる姿とともに勢いよく飛ぶ工作遊びが紹介されています。

上は前とびらの一部です。
「あなたはほんをよみますか?」と題するまえがき、正確にいうと前歌、が書かれています。このページ左上ではミミズクが「暗夜行路」を、右上ではカラスが「からすのパンやさん」を読んでいます。

ここに描かれている本の題名は左から「ロミオとジュリエット」「奇妙な果実」「ロボット工学入門」「唐詩銘撰」「わが輩は猫である」(本が逆さ向きなので夏目漱石の肖像画もひっくり返っています。)

読みにくいと思いますので、あらためて前がきを記します。

あなたは ほんを よみますか?

(引用はじめ)

〽︎ほんは すばらしい のりものだ
すぐに どこへでも ゆけるんだ
ほんは すてきな せんせいだ
なんでも たのしく おしえてくれる
ほんは ふしぎな レントゲン
こころの おくまで はっきり うつす
そのうえ ほんの せかいは
やさしい ゆりかごだ
いつのまにか しずかに
ねむらせて くれるもの
(引用おわり)

上の写真にあるように、この本の最後の見開き(47ー48ページ)には「おとぎのくににあさがきた」という言葉とともに朝日をあびるたくさんのおもちゃや子どもに慕われている物語の登場人物が大集合します。(写真は一部です)

実は、この絵には長い歴史があります。加古が社会人になって間もない頃、セツルメント活動をはじめていた1952年に制作した大きな水彩画「おもちゃの国にあさがきた」をもとにしているのです。

当時、加古のまわりの子どもたちはおもちゃらしいものは何一つもっていませんでした。この絵を見ながら、かこさとしが語る物語に想像の翼を広げたり、動物の数を数えたり、ある色を探すゲームをしたりしてみんなで楽しんだそうです。役目をはたし終えたその絵は、今ではすっかり色あせてしまいましたが、本著を描くにあたり、時代に合わせた絵にして残しておきたいと願った著者のおもいが伝わってきます。どうぞ本を開けて隅々までご覧ください。

そして、最後には「お伽の世界は想像と創造の星雲」と題するあとがきがあり、以下にご紹介します。

お伽の世界は想像と創造の星雲

(引用はじめ)

光速のロケットができてもとなりの星雲にゆくには何千年とかかるそうですし、事件がおこるとそこにいたかどういかという、いわゆるアリバイが問題となります。このように時間や距離や生物の耐えられない条件などを超えるには、最新の技術や経済力を動員しても出来難いことなのに、なんと本の世界では「話はかわって」「むかしとおいくにで」「さて一方こちらでは」とたった数字数行で、とびこえてきました。特にお伽話や童話の世界にはこのふしぎさすばらしさが渦巻いています。
読書で知識を覚え、文字や物事を知り、かしこくなるとすすめますが、本によってこのふしぎですばらしい世界をとびまわり、まよったりあそんだり楽しんでほしいというのがこの巻のもうひとつの願いです。ではどうぞこの本も、もう1冊。

(引用おわり)

10月25日に開館30周年を迎える藤沢市総合図書館。1階中央にガラスケースが設置され、寄贈されたイラストとともに「だるまちゃんとてんぐちゃん」の複製原画が展示されています。

地下には児童図書が並び、壁面にはかこさとしコーナーが設けられています。「絵巻じたて かわ」も展示されています。

かこ・さとし かがくの本 5「あまいみず からいみず」初版(1968年 童心社)は、かこさとしの絵によるB5変形・21センチの小型絵本でした。

以下はその表紙・裏表紙と28-29ページです。当時は4色刷り(カラー)が高価だったたため本文は2色刷りでした。

現在の大きさでカラーになったのは、初版から20年経た1988年で、この時に和歌山静子さんの絵に変わりました。

コップの実験からひろげる化学の推理

かこさとし画の版では、あとがきの見出しは「一般から特殊なものへひろげ演繹してゆく考え方」となっていましたが、1988年以降は「コップの実験からひろげる化学の推理」となりました。

あとがきの文は同じです。以下にご紹介します。

(引用はじめ)

「かがく」ということばはときどき困った場合が起こります。文字に書くと「科学」「化学」でわかるのですが、ことばや音だけでは説明がいることとなります。それでしばしばバケガクという言い方が、多少うらみをこめて言われます。

子どもの本、特に幼児向きの本で「化学」を扱ったものが非常に少ないというのがわたしには残念でなりませんでした。この本の塩や砂糖が水と引き起こす現象は、化学の中の溶解とか溶液とか濃縮という重要な項目の一つです。

また、小さなコップやおなべでわかったことがらを、大きな自然現象に拡張すること、手近な実験で確かめられた事実を、実験のできない現象にまで適用推論すること、そういう考え方、すじみち、手法は、化学の研究ではごく普通の、しかも大事なものとなっています。むずかしくいえば、一般的な事例から、特殊なものへひろげ及ぼしていく、いわゆる演繹法とよばれる考え方、すじみち、態度をくみとってほしいのが、わたしのひそやかな願いです。
かこ・さとし

(引用おわり)

2013年復刊ドットコムから刊行された、かこさとしあそびの本②「こどものげんきなあそび」は1970年に童心社より出版された5冊シリーズの第2巻を底本に復刊されたものです。

外遊びの大切さを1970年当時から訴えていたことに、考えさせられます。以下は、前扉です。

あとがき
(引用はじめ)

「子供らしい」という表現があります。おさない、考えが浅い、自分のことしか考えないーーーなどという非難の言葉とも考えられますが、私は健康で、元気で、正義感にあふれ、純真で生き生きしていてーーーと言う積極的、進歩的な意味の方が強いようにおもいます。
遊びの中で、子供らしい遊びとは、やはり戸外での、子どもどうしによる、身体をうごかして行う、いわゆる「そとあそび」が第一でしょう。

健康な子どもたちが外で集まれば、そこには笑い声が起こり、かん声があがり、元気にとびはねて、走りまわるものです。親や先生やおとなたちのいらざる干渉がない限り、1日夕陽の残照がきえるまで、いや、消えてしまって街灯がついて、こうもりがとぶころとなっても、まだ楽しい遊びの興奮によいしれ、あしたは今日よりもっとうんと遊ぼう、はやく明日になればいいのにーーーとおもうのが子どもたちであり、子どもたちの「そとあそび」です。

この集には、そのもっとも子どもらしい「そとあそび」を中心にあつめました。

現在、都会と言わず農村といわず、日本いたるところで、交通、住宅、進学・・・等の問題は、子どもたちの世界からこうしたたのしい「そとあそび」を失わせ、遊びによいしれる時間をもぎとってしまっています。そしておとなたちの世界では昭和元禄とやらの逃避的遊蕩が横行しています。この同じ病根によって子どもは子どもらしい遊びを失い、おとなはおとならしい仕事と誇らしい労働を忘れ去ろうとしています。
だけどーーー
だからーーー
子どもは子どもらしく、おとなはおとならしく、あなたはあなたらしく、私は私らしくーーーさあ、がんばりましょう!

(引用おわり)

10月といえば、何を連想されますか。芸術の秋、食欲・スポーツ・読書の秋・・・全部!という方には「こどもの行事 しぜんと生活10月のまき」(2012年小峰書店)をお勧めします。

表紙にあるように稲刈・収穫、自然のめぐみとお祭りは切っても切り離せません。この本は、〈衣替え〉に始まり、どんぐり、渡り鳥、星空などの自然、結婚式や運動会そしてハロウィンにいたるまでページを埋めつくす絵と情報で、こどものみならず大人も多いに納得、感心する内容です。

米づくりや古来日本人が親しんできたお祭りや風習がいつ頃始まったのかがわかる巻末の歴史年表もこの本の大きな特徴です。
あとがきをご紹介します。

10月のあとがき

神がみと悪魔のあつまり

(引用はじめ)
10月は日本の各地の神がみが出雲大社にあつまり、出雲(今の島根県東部)以外の場所には神がいなくなるので「神無月」とよばれました、各地には、わずかに「えびす」と「かまど神」がのこり、留守をまもるといわれてきました。

ところが、西洋では、10月末に死者の霊や魔女や化け物たちが山頂にあつまるという伝説がもとになって、ハロウィンの行事がうまれました。

一方は神がみのあつまりにたいして、一方は悪魔のあつまりというこのちがいは、たんに神話や伝説、空想上のちがいというより東洋と西洋のちがい、すむ人びとの考えや文化の差異を示している例のように思えます。
(引用おわり)
なお、本文はたて書きで全ての漢字にはふりがながありますが、ここでは省略しました。

ハロウィン(10月31日)のページより。

「とんぼのうんどうかい」(1972年偕成社)をご紹介します。

秋の園や学校行事の筆頭は運動会ではないでしょうか。加古の作品の中で題名に、うんどうかいが付く絵本が2冊あります。この「とんぼのうんどうかい」と「どろぼうがっこう だいうんどうかい」(2013年偕成社)で、おはなしのほんシリーズ(全20冊)にはいっています。

秋の美しい夕焼け空を背景に物語が繰り広げられる「とんぼのうんどうかい」が誕生した当時の様子が、あとがきで記されています。

(引用はじめ)
1950年ごろから約20年のあいだ、休日のわたしは労働者の街・川崎の一隅で、子ども会の指導にあたるのを常としていました。あつまってくるのは、小さい姉に手をひかれたヨチヨチ歩きの弟から中学・高校生まで、ときにはおばあさんもまじっていました。子ども会でやることの主軸は遊ぶことで、遊びの楽しさを味わわせ、遊び方を考えさせることでした。

だからその導入となる童話や紙しばいを、わたしは毎週つくる必要があったのです。それらを大別するとーーー(1)動物たちがでてくるもの (2)民話的なもの (3) 現実の子どもたちの生活を描いたものーーーに分かれていました。

この「とんぼのうんどうかい」は、そうした中から生まれた作品のひとつです。つくったのは、1956年の秋、まだ当時はスイスイたくさんとんでいたあかとんぼの、互いにふれあう羽音を聞きながら、土手に腰をおろした子どもたちに、紙しばいとして見せたのが最初です。

わたしにとって、わたし作品の最高の批評家はそうした子どもたちでした。わたしは自分の作品を子どもたちに語ったり見せたりしたあと、けっして子どもたちに「おもしろかったかい?」などときかないことにしています。そんなヤボなことをきくより、横目で見ている子どもたちの表情が、雄弁に的確な評価をくだしてくれるからでした。このときの子どもたちの顔は、満足していました。それを見て、わたしもおおいに満足したことをおぼえています。

すでにその子どもたちも成人し、何児かの父や母となって、わたしをおどろかせます。時は流れ、赤とんぼの数もへってしまいましたが、この作品を、今父や母となったかつての子どもたちとおなじように、今のこどもたちもニンマリ迎えてくれるでしょうか。わたしは、おそれ、期待しているところです。
(引用おわり)

尚、本では、ほとんどの漢字にかながふってありますが、ここでは省略いたしました。