編集室より

赤い帽子のとこちゃん。お母さんの買い物についていっても、動物園やデパートでもいつのまにかいなくなってしまいます。

さまざまの場面に大勢の人がいる場面は、まさに密。今となっては遠い昔の世界のようにさえ思えてしまいます。各地でコロナ禍の対策としてステイホームが望まれているゴールデンウィークは、この本の中で、海やデパートにお出かけはいかがでしょうか。

かこさとしは、この本は有名な探し物の絵本より早く出版されていたことに加え、物語であることにも注目していただきたかったようです。楽しみながらじっくり、とこちゃんの物語を味わっていただけたらと思います。

ロングセラーとして以下のサイトで紹介されています。

とこちゃんはどこ

(1988年童心社) 文かこさとし /絵やべみつのり

一見したところ、木や石、鉄に見えるものがプラスチック製品、ということがよくあります。物の材質を見極めるにはどんな方法があるのか、確かめてみるという科学的な内容のこの絵本は1969年に出版され、現在は新版がでていて2021年4月18日中日新聞で紹介されました。

なんだか ぼくには わかったぞ

この本のあとがきをどうぞ。

あとがき

(引用はじめ)
この本にかいてあることは、材料として、木や石や鉄などがあるというものではありません。
くまちゃんが、木でできていることを、本に書いてあるより先にあてさせることが目的でもありません。
まして水にうくのが何で、沈むのが何、次に燃えるのが何でーーということを暗記させることでもありません。
もっと単純で、もっとおく底の、もっと基本的なものーー科学としての考え方、科学としての態度、科学のすじみちを大事にしたいと念じます。
この本では、物質をしるため、その性質を一つ一つ分け、検討し、それらをまとめるという帰納法の推論と総合判断がとられています。
科学の研究が進み、専門が分化していく現在、こまやかな知識の断片ではなく、ばらばらのこまやかな要素を、広い目で見つめながら集積して、対象の全体像や物事の実体に迫ろうとする態度や考え方がますます大切になっています。
この本もそうした「かがくのほん」でありたいと思ってつくりました。
かこ・さとし
(引用おわり)

半世紀以上も前のことです。筆者の通っていた小学校では月曜日の朝には、雨でない限り、全校生徒が校庭に集まって朝礼、校長先生のお話がありました。その内容はほとんど忘れてしまいましたが、訓示のようなものが多かったように記憶しています。その中で今でもはっきり覚えているのは関東大震災が起きた時のお話でした。

1923年9月1日、2学期が始まるその日、校長先生はまだ小学生で始業式を終えてお母さんと兄弟とでちゃぶ台を囲みお昼を食べていた時に大きな揺れに襲われたそうです。当時の私にしてみれば関東大震災は遠い昔のことと思っていたので、その体験をした人から直接話を聞き大きな衝撃を受けました。

地震が起きた時「日本の近代的な物理の土台を築いた一人、長岡半太郎」博士は神奈川県の三浦半島に避暑にきていて、「はるか北方に見える東京の火煙の様子を、時間を追ってスケッチし、その色の変化をこまかく記録し、数日後には彩色した絵を仕上げ」たそうです。

「人びとは3日も燃える煙を見て悪魔の雲だとさわぎ、(中略)あやしげなことを言いふらしたのを、長岡博士は正確な煙の記録を示し、魔法や陰陽術のせいでないことを人びとに教えた」と『科学者の目』(2019年童心社・上)にあります。

今でも伝えられている井戸水に毒薬がいられたという流言飛語は「伝染病をおこさぬため、生水を飲まぬようという注意があやまって伝えられたり、一部の悪質な者の策動だった。長岡博士はこうした根も葉もないデマを、科学者の目をもって一つひとつつぶし、他の学者や学生とともに救援活動をおこなう間、観察したことを冷静に記録し(中略)のちに、この大地震のようすを調べ、対策を考える上に貴重な基礎資料となった」そうです。

こうした博士の逸話を紹介し、最後にかこは次のように結んでいます。
(引用はじめ)
大きな混乱の中では、私たちはともすれば真実を見失いがちである。そういう時こそ、この科学者の冷静な目にならって、私たちも何が正しいか、何が人々に不幸をもたらしているのか、どうすれば真の発展に向かうのかを見失わぬようにしたいものである。
(引用おわり)

コロナ禍の真っ只中、この言葉は筆者の心に強くつきささります。

下は『世界の化学者12か月』(2016年偕成社)の4月の項目で「日本のすばらしい三太郎」として紹介されている鈴木梅太郎、長岡半太郎、本多光太郎の三博士。

「だるまちゃん」が「てんぐちゃん」のうちわや頭巾(ときん)、下駄を真似したくて、色々なものを集めたり、『からすのパンやさん』でたくさんのパンが並ぶ場面が印象的で、かこ作品には物尽くしがあると言われます。

第1回の自動車部品もある意味、物尽くしですが、『あそびの大惑星2 のんきな いたずらっこのあそび』(1991年農文教・上)の表紙には動物の風船がいろいろ、副題が「あそびの健康元気館」というだけに身体を使った愉快な遊びが種類豊富に登場します。

「げんきな こどもは ねても うごく」「いたずら こどもは ゆめでも わんぱく」とあるように、左右のページに、ぐっすり寝ている子どもや動物、そして虫の寝姿と共に、こどもの寝相12種類が名前付きで描かれています。

かこがセツルメント活動を記録していたノートには、こどもたちの寝相を知ってようやくその子のことを知っていると言える、といったことが書かれています。その時に集めた寝相かどうかは定かではありませんが、かつての筆者の寝相と思われるものもあるような。。。

さてさて、皆さんの寝相は何型ですか。どうやら私は2種混合型のようです?!

「マイッタなぁ」は、かこがお子さんたちの思いがけない発想や行動力に感嘆して、しばしば使った言葉です。

お子さんが興味をもったら本の隅々まで見てくださることを心得ていた、かこはじっくり見てくださる読者の皆さんにありがとうの気持ちを込めて、ちょっとしたメッセージ代わりの絵を描き込んでいたりします。

また、科学絵本であれ遊びの本であれ、面白いと興味を持っていただけるようなユーモアあふれる工夫もしています。そんな中でも、これはマイッタ!と思わず口に出てしまうような傑作(?!)場面をシリーズでご紹介します。

ご覧いただいているのは『どうぐ』(1970年福音館書店/2001年瑞雲舎)の一場面です。動く道具で一番身近な自動車は、自動運転という話題もありますが、この本が発刊されたのは1970年ですから、まだオートマチックではなく、マニュアルギアが主流の頃でした。

当時実際に自動車に使われている全部品を自動車会社から教えていただき、余すことなく描いたそうで、かこが好き勝手に増やしたり減らしたりしていないと本人から聞きました。ただし、1つだけ、可愛いおまけともいうべきものがまぎれこんでいます。

ヒントはこの場面の前のページ。スパナを手にした子が、嬉しそうに乗っている車のフロントガラスにぶら下がっている小さなクマちゃん。この子のお気に入りでしょうか。

もう一度、もとの場面を見ると、油まみれになって、それにしても頑張りました。全部並べてこの通り。ナンバープレートの「さ」は、かこお得意のサインの代わりで、その下の方を見ていくと。。。
見つけました!
あのくまちゃんです。透明なプラスチックの吸盤でガラスにくっつけて下げるかわいいマスコット。かこは、きっとニヤニヤしながら描いたに違いありません。これぞまさに「マイッタなあ」です。

『こどものカレンダー4月のまき』(1975年偕成社)の4日のページは「4というすうじは よく みると ほら、しかくいかたちに なるでしょう。」と始まり四角の説明が続き、四角を元にして描いた、いつもとはちょっと違った感じがする、こどもや犬、猫、春の植物やカエルやオタマジャクシが載っています。

そして、今年の4月4日、日曜日はイースターでもあり、二十四節気の清明でもあります。

イースターは春分の日の後の最初の満月の後の日曜日、ということですから年によって3月のこともあれば4月のこともあり、『子どもの行事 しぜんと生活』(2013年小峰書店・上)で詳しくご紹介しています。

そして、二十四節気では、清明は春分の日から15日目ですので4月5日頃、今年は4日となります。この絵は、『万里の長城』(2011年福音館書店)にある清明上河図の模写です。多くの画家に影響を与えた、この名画には宋の首都、開封(かいほう)の活気あふれる様子が描かれていていて、それを加古が模写しました。

コロナ禍の中ではありますが、明るい光と緑にあふれ、自然の生命力のエネルギーを感じるこの時期を十分に味わいたいものです。

直接お話しを聞いた内容は大変心に残るものですが、コロナ禍で始まった新しい日常の中では、オンラインによる会議や授業そして講演などが多く行われるようになりました。

加古作品の編集にも携わった元福音館書店の編集者・古川信夫さんが、静岡県沼津市立図書館のリモート講演会で「絵本の楽しみ方 絵本の選び方」と題し講演されました。YouTubeでお聞きいただけます。

第一部終わりで『だるまちゃんとてんぐちゃん』(1967年)、『マトリョーシカちゃん』(1984年)、第二部終わりで『かわ』(1962年以上いずれも福音館書店)について話されています。第三部まであり、編集にご興味のある方はもちろんのこと、お子さんやご自分用の本選びのご参考になることと思います。

2022年3月末まで以下でどうぞ。

絵本の楽しみ 絵本の選び方

春の草花が咲き始めて日に日に賑やかになってきています。この時期はタンポポやカタバミなど黄色の花が目につきますが、そんな道端でも見かける草花が数々登場するのが『あかいありとくろいあり』(1973年偕成社)。

あかいありの小学6年生ぺっちゃんが、ギャングのくろありにさらわれてしまい、みんなで探します。その途中でキャラメルやビスケットと美味しいものを発見、みんなで力を合わせて運んでいるとそのビスケットまでくろありたちに奪われてしまうという物語です。

上の場面は、お兄ちゃんがさらわれたらしいと発覚するところで、妹のなっちゃんがお母さんにくろありの声が聞こえたと話しています。お母さんありはおなべを持っていますが、これはなぜでしょうか。お母さんだからといえばそれも正解ですが、当時、午後になると豆腐屋さんがラッパを鳴らして売りに来て、家々からは鍋やボールを持って豆腐を買いに通りにでてきました。そんなことが背景にあるのです。

思いがけず見つけたビスケットの場面(下)、よーく見るとこのビスケットにはKAKOBISCとあり、かこのお得意、サイン代わりの名前入りです。この場面の複製画を藤沢市本庁舎ホールに展示していますので、ご用でお出かけの機会がありましたらご覧ください。

くろありに横取りされたビスケットの行方が気になりますか。ご安心ください。
あっという展開で嬉しい結末が待っています。

鍋を持って豆腐やさんからもわかるように、この物語が作られたのは、かこが川崎で子どもたちに紙芝居を見せていた最初の頃、1954年で当時の大きな掛け図式の紙芝居が以下の映像でご覧いただけます。

あかりありとくろいあり

2021/03/20

ハチが飛ぶ

かこはハチを好んで作品に登場させています。それは日本の昔話で多く語れているからなのかもしれません。鬼や怖いものに逆襲する手段として、小さななりの一見弱そうなものが力を合わせるとき、ハチもその重要な役割を果たすのは「さるかに合戦」でご存知のとおりです。

『わっしょい わっしょい ぶんぶんぶん』(1973年偕成社・上)のぶんぶんぶんはハチの羽音で古くは万葉集でも「ぶ」という音で表現されていたそうですが、表紙にもハチがいますし、次の部分にかこの気持ちが込められています。 

(引用はじめ)
ぼらの わたしの
おくにでは
うたをうたって
はたらいて
はちまで ゆかいに
ぶんぶんぶん
わっしょい わっしょい ぶんぶんぶん
(引用おわり)

『あおいめくろいめちゃいろのめ』(1972年偕成社)でもハチが重要な役割をしていますので、裏表紙と見返しにズラリと並べています。

調べてみるとハチは驚くほどたくさん種類があることがわかります。その代表的なものが『あそびの大惑星 4いちぬけた にいにげたのあそび』(1991年偕成社)の中にでてきます。この本は数に関する数え歌やあそび、四季、各月の歳時記や自然、お祭りなど風土、生活と総合した遊びを紹介するもので、駄洒落好きのかこらしく8になぞらえています。

(引用はじめ)
【1】 いたいのは スズメバチ
【2】 にげるのは アシナガバチ
【3】 みつをせっせとミツバチ
【4】シシアブだってひとをさす
【5】 いんでゆくベッコウバチ
【6】むかってくるジガバチ
【7】なんども くるのは ハナバチ
【8】はっぱのうえに ハキリバチ
【9】くろい だんごの クマンバチ
【10】 とんだところに トックリバチ
(引用おわり)

シシアブは姿形がハチに似ていて刺すのですが、ハチの種類ではありません。

ジガバチは『ありちゃんあいうえお かこさとしの71音』(2019年講談社・下)にも登場しています。この本の前半は50音に濁音、半濁音の71文字の言葉遊びで、挿絵と言葉が面白く思わず笑ってしまいます。後半はかこさとし初めての詩集になっていて、孫にまごまごしつつ可愛くて仕方がない、じじばかぶりが露呈しています。

話をハチにもどしましょう。もちろん『地球』(1975年福音館書店)には、ミツバチ、ジガバチ、クロアナバチが飛んでいますし、クロアナバチの巣やクロスズメバチの巣なども描かれています。

そして2021年1月に刊行された童話集『くもとり山のイノシシびょういん』(2021年福音館書店)ではイノシシ先生が沢山のハチの針を抜いて治療する場面があります。

最近は都会のビルの上でハチを飼い蜂蜜を収穫する方があるそうですが、皆さんの周りにミツバチは飛んできますか。色々な花が咲き始め、植物の受粉のお手伝いをしてくれるミツバチたちが活発になるのはもうすぐでしょうか。

2021年2月26日〜4月11日福井県ふるさと文学館 加古里子特集展 宇宙とどうぐ

ナビや通信など人工衛星のお世話になっていることを忘れるほど現在では当たり前のことですが、世界初の人工衛星打ち上げは1957年、日本の国産衛星の成功は1970年でした。
半世紀を経た現在、宇宙にある衛星の数は8000以上とも言われ、各国が競って打ち上げをしていた頃を知っている筆者にとっては、その数の多さとその半数以上が機能を停止している宇宙ゴミの状態ということに驚かざるをえません。

最近は宇宙ゴミにならないよう、燃え尽きる木製の衛星打ち上げも計画されているとか。そしてこの3月には福井県が日本初の県民衛星を打ち上げます。それに因んだ展示「福井県民衛星打ち上げ記念 加古里子特集展 宇宙と道具」が福井県ふるさと文学館で始まりました。

その模様がNHK福井で放映されました。以下でどうぞ。

人工衛星

衛星といっても地球を周回するものから、探索のため他の星に向かうものなど様々ですが、かこ作品ではどんな本に登場するのか見てみましょう。

『できるまで とどくまで 通信衛星』(1979年みずうみ書房・上)よると 初期の衛星の寿命は2年もなく、アポロ11号の月面着陸を中継したインテレサット3号の寿命は5年間でした。この本の最後には次のように書かれています。
(引用はじめ)
これからも、通信衛星は世界をむすぶ”塔のないアンテナ”として、宇宙に浮かぶ電波の中継基地として、ますます活躍することでしょう。
(引用おわり)

この時代は、各家庭ではテレビのアンテナを屋根の上に立てて電波を受信していました。そして現在は通信衛星や気象衛星にとどまらず、軍事衛星や科学衛星も地球の周りを回っています。

球形である地球の裏側の人や物が落ちてしまわない理由は引力があるからで、その引力のおかげで地球の近くであれば宇宙でも地球の周りを回って落ちることがないのです。ユーモラスな絵(上)とともに説明しているのは『あさよる、「なつふゆ ちきゅうはまわる』(2005年農文協)です。

『遊びの大星雲 1ひみつのなぞときあそび』(1992年農文協・上)〈じんこうえいせいのひみつ〉には、
「どんな おもい ものでも 1びょうで7、8キロ すすむ はやさで なげだすといつまでも ちきゅうの まわりを まわりつづけます。(くうきや ほかの ほしの えいきょうが ないようにしないといけません。)」
とあります。

さらに詳しい説明があるのは『宇宙』(1978年福音館書店・下)のこの場面。左上に小さく見えるのは宇宙船回収グライダー(アメリカ・1964年)で、左下方が世界最初の人工衛星スプートニク1号です。

人工衛星が地球を回る速度をさらにあげると、「じゅうりょくの ひっぱるちからを ふりきって、ちきゅうを はなれ、もっととおくへ とんで」ゆき、他の星の周りをまわって観測することができるようになります。『宇宙』の話はまだまだ続きますが、人工衛星の追跡はこの辺でおわりといたします。
肉眼でも見ることができる人工衛星。宇宙からこの地球を見下ろしたらどんなことを感じるのでしょうか。

*福井県民衛星は2021年3月22日に無事打ち上げ成功したそうです。